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禁煙の本棚

      2016/07/27

禁煙の本棚

禁煙の日記 南方熊楠と西田幾多郎

アメリカを放浪していた南方熊楠がイギリスに渡ったのは明治二十五(一八九二)年、
熊楠二十六歳の年である。以来、三十三年に帰国するまでの八年間、主に大英博物館を
拠点として、世に知られる圧倒的にハードな勉強をつづけた。博物学、粘菌学、地誌学、
性愛学、民俗学、文学など、古今東西の諸学にわたる博識の基礎は、この時期に形成さ
れた。大英博物館の閲覧室で読書、転写した各国語の書籍・雑誌は五百冊に及ぶという。
この時期の熊楠が学問に対して抱いていた決意のほどを示す一行の言葉が、明治二十
八年の日記(月日は不明)に読める。
学問と決死すべし。
(ハ坂書房版『南方熊楠日記』より。以下、同じ)
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ロンドンに暮らす間、熊楠が現実に果たした勉学の成果を思えば、壮絶ともいえる決意の言葉である。しかし熊楠が臍を固めたのは、ただ学問に励むことばかりではなかっ
た。この知の巨人をめぐる世の論考ではあまり触れられることはないが、右の言葉の三
行前にもう一つ、青年熊楠の決然たる思いをこめた一行が書かれているのである。

厳禁喫烟
熊楠と飲酒との関係は広く知られている。大酒にともなう奇行や乱暴狼籍の数々はほ
とんど伝説化しているといってよい。ロンドンの下宿では痛飲して浬瓶をひっくり返し、
階下の住人から抗議を受けているし、大英博物館で騒動を起こし、ついに永久追放され
るに至ったのも、どうやら酒がからんでのことであったらしい。紀州田辺にある熊楠の
家に柳田国男が初めて面会に訪れたとき、しらふでは会えず、しばらくして柳田の前に
現れたときには泥酔していたというのも有名な話だ。
それに比べると煙草はどんなに吸っても伝説にはなりにくい。ましてや禁煙などとい
うのは、どう見ても劇的なところなどありようがないと思える。しかし熊楠自身にとっ
て、禁煙もまた意識の内では緊張をはらむ劇にほかならなかったことが、日記を読むと
想像できるのである。それはまず明治二十六年十月二十六日に書かれた穏やかな決意からはじまる。
今日より日々一茶、無烟。
是より行やすきことなし。事なくて詮方に尽るときは眠るべし。
右は亡父の志を成ん為、父の神に誓ふ也。
ところが行いやすいどころか、この誓いがあまりに楽天的にすぎたことを、翌二十七
年の日記に出てくる一連の記述が暴いてしまうのだ。煙草にかかわる部分を抜き書きし
てみる。
一月二十五日 今日より厳に喫烟を禁ず。
四月十九日  烟草厳禁す。
五月二十六日 本日、破戒喫烟す。
六月二十六日 茶と烟草厳禁す。父の志を継ぐ也。
六月二十七日 茶と烟草厳禁す。
六月二十九日 烟と茶を止ずんば吾志を行ふこと難し。

南方熊楠のもつ常人の想像を超えた意志力というものは、誰もが認めるところだろう。
明治二十八年の日記帳に書かれた「学問と決死すべし」及び「厳禁喫烟」の近くには、
「日夜一刻も勇気なくては成ぬものなり」「夜八時より語学、それ迄は他の学問す」「大
事を思立しもの他にかまふ勿れ」といった言葉が見られる。そうした決意が、じっさい
に強靭であったことを、大英博物館で作られた「ロンドン抜書帳」全五十三巻を埋め尽
くす厖大な筆写量(一万ページを超すともいわれる)がおのずと表しているといえるだ
ろう。
それだけの「意志の人」が、煙草に対してはふしぎなほどに弱いのである。二十七年一月二十五日には、これから煙草を吸わなかった日には〇、万一吸ってしまったら△を
つけようと記し、たしかに二月十三日までは○の日ばかりがつづく。

禁煙を遊ぶ 吉野秀雄と作家たち

禁煙をめぐって書かれた文章の中で、私がもっとも好きで折に触れて思い出すのは、
歌人の吉野秀雄による「禁煙について」(昭和三十三年)と題した短文である。これを書
いたとき吉野秀雄は五十七歳、禁煙してから二年経っている。ただし、その二年の間に
五回ほど禁を犯しているという。じつはその禁を犯したきっかけのIつが面白いのである。
鎌倉の瑞泉寺に花見に行った。和尚とは旧知の間柄であったらしい。山桜を眺めたあ
とビールをふるまわれた。ビールは持病のリューマチによくない。それでも二本飲んで、
ほろっとするうち、和尚が寺の真西に望める富士の話をした。それが「富士の山のちや
うどまん中へ入日がポコンと沈んだ」という話であった。
ともかくわたしはその話に興奮を覚えた。そして和尚が用事で席を立った時、興奮のあまり机の上にあつた和尚のタバコを一本ぬき出して、気がついたら吸つてゐた。
富士山のまんなかに夕陽がポコンと落ちる。それを聞いたために「興奮のあまり」、
つい目の前にあった和尚さんの煙草を吸ってしまったというのだ。煙草を吸わない人に
は分かりにくいことだろうと思う。じっさい、入日がポコンと沈むことが、どうして
「ちよつと重大な問題で、ここに簡単にかけるものではない」のか、歌人がそう記す真
意は私にだって測りかねる。しかし、思いもしないことが喫煙衝動を引き起こすという
ことの好例として、吉野秀雄の体験はまことに勝に落ちるのである。
小説家の小沼丹がエッセイ「禁烟について」(昭和四十五年)に書いているのも、同じ
ようなケースだろう。煙草を断ってから三、四年を経た年の夏のこと、小説家は師でも
ある井伏鱒二と甲州の波高島に旅をした。友人の吉岡達夫も一緒だった。井伏鱒二は宿
の部屋で原稿を書く。小沼丹は友人と近くを歩き回っていた。しかし辺りにはただ低い
山と川があるばかりで、ほかには何もない。友人が川で泳いでいる子供をつかまえて、
「桃太郎を知つてるか」と尋ねた。
すると「男の子は困った顔をして、知らん、と云った。どうも大変な田舎だな、と吉
岡は呆れて朝草を出して火を点けた」。その火が、どうやら、禁煙していた小沼丹の胸の内にも燃え移ったらしい。
そのとき、シラノの台詞ではないが、一体全体どう魔が差したのか、

タバコ一本呉れよ。
と吉岡に云つたのである。

旅行から帰るとき、小沼丹のポケットには小沼自身の買った煙草が一箱、ちゃんと入
っていたという。「さうなつたらもう止めて止るものではない」
これも非喫煙者には分かったような分からぬような話だろう。旅先の宿の近くにある
川で桃太郎のおとぎ話も知らない男の子が泳いでいる。「大変な田舎だな」とつぶやい
て、友人が一服つけると、矢も楯もたまらず、煙草を一本もらってしまったというので
ある。
吉野秀雄の例と、この小沼丹の例とでは、それぞれ相手として喫煙者がいたことが共
通している。もしも相手が煙草を吸っていなければ、禁煙は破られなかっただろうか。
そうとは思えない。喫煙者とともに時を過ごす機会は、二人にとって、それまでにもし
ばしばあったことだろうし、喫煙衝動というものは、そのとき身近に煙草があってもなくても、みずからを噴き出させるための破れ穴をたえず探っているのである。ほんの少
しでも気持ちにほころんだところがあれば、遅かれ早かれ、そのほころびを広げて噴出
するだろう。
私自身がそれを感じたのは、たとえば通勤時の電車の中でたまたま競輪の広告を目に
したときのことであった。何の思いもなく眺めていた「競輪」の漢字二文字に、どうし
たわけかふと心がとらえられ、目が離せなくなってしまったのである。私は競給湯に行
ったこともなければ、券を買ったこともない。関心はまったくもっていない。それがふ
しぎにも「競輪」という文字に胸がさわぎ、身体はぞわぞわと煙草を欲しはじめたのだ。
まだ何度も禁煙を試みていた頃のことである。ホームに降り立ってからすぐに煙草を
買って吸ってしまったのか、それとも吸わずにすんだのか、もはや億えていない。ただ、
何が引き金になるか分からない、それがニコチン離脱症状の底知れないところだと思わ
されたことは強く印象に刻まれて、いまも忘れずにいる。
『シェイクスピア物語』などで知られるイギリスの作家チャールズ・ラムも、禁煙を試
みてはそのたびに失敗している。英文学者・福原鶴太郎による短いエッセイ「煙草をや
める話」(昭和四十一年)によれば、その失敗のうち、もっとも面白いものは、出版業者
言フムの友人でもあるホーンという人物の手紙に書かれた逸話であるという。ある夏の夕方、ホーンとラムとがハムステッド・ヒースの丘を散歩していた。歩きな
がら自分たちが嗅ぎ煙草の習慣を止められずにいることの愚かしさを論じ合っていた。
結局、これからはほんの1つまみといえども、嗅ぎ煙草を断固として用いはしないと誓
い合い、丘の高みからはるか下のハリエニシダの茂みの中へ、めいめいの煙草入れを投
げ捨てた。
意気揚々として、それぞれ家に帰ったものの、やがてホーンは煙草を吸えぬ情けなさ
で胸がいっぱいになった。夜通し、ベッドの上で懊悩した。

夜が明けるとぼく(ホーン)はその昨日の丘の上を歩いていた。すると、目に入っ
たのは下の方にチャールズ・ラムがいることであった。草叢の間を探している。

君も煙草入れを探しにきたのかと問うラムに、「いいや」と答えたホーンが、チョッ
キのポケットから嗅ぎ煙草を取り出し、「開いていた煙草屋へまっさきに飛び込んで、
二円五十銭だけ買って来ているんだ」といったという話の下げはあらずもがなだろう。
一フムが夜明け前から丘の下の草むらに来て、前日の夕方に投げ捨てた煙草人れを懸命に
探しているというだけで、ラムをめぐるエピソードとして絵になっている。おそらくは必死の形相をしながらのチャールズ・ラムのふるまいに、もちろんおどろ
くまでのことはない。吉野秀雄や小沼丹の例のように、禁煙してから何年か経ってさえ、
まったく予期もしないときに煙草を吸ってしまうのである。禁煙を決意した日の翌朝、
捨てた煙草を探して回るのはふしぎでも何でもない。というより、いまさら胸に手を当
てるまでもなく、私にとっても他人どとではないのである。
ともあれ、禁煙に失敗したことを書く作家たちの文章は、それぞれに個性的で、やわ
らかな笑いをくるんでいる。それに比べると、喫煙者である作家たちが禁煙者忙ついて
書く文章は、どうにも画一的な姿勢がうかがえて、つまらない。すなわち、禁煙者の
「健康志向」を俎上にのせて批判する、あるいは冷笑する、あるいは見下すという姿勢
である。「健康」に特段の価値があるわけではないとしても、もちろんのこと、「不健
康」のほうにも優位に立ついわれはない。
喫煙者の文章で、ほとんど例外的に共感を呼び覚まされたのは、劇作家の別役実が新
聞に書いた「煙草」(平成九年)という短文であった。これは身にしみてよく分かった。

ヘビー・スモーカーである劇作家

ヘビー・スモーカーである劇作家は、対談の仕事が来ると、あらかじめ「煙草は吸わ
せていただけますか」と尋ねておくという。以前に一度、面前で煙草を吸ってはいけな
い人と対談をすることになり、往生したことがあるからだ。もっとも、さすがに芝居を見るときなどは煙草なしでも二時間くらいは平気だという。うっかり新幹線の禁煙車に
乗ってしまったときも、東京から大阪までの三時間を持ちこたえた。
しかし、当然吸えると思った場所で「駄目です」と言われると、とたんにガクッと
くるのである。(略)人を訪ねて部屋に入った場合も、まず私はそこに灰皿があるか
ないかを確かめる。ないとなると、その家のものに「すみません、灰皿を……」と言
っていいものかどうかを確かめるべく、私の目は右往左往する。
読んでいると、あたかもかつての私を見るような気がする。知らぬ家を訪ねると、ロ
では挨拶を述べながら、目はテーブルの上に灰皿があるかどうか探ったものである。果
たして灰皿が見当たらず、とうとう出してもくれないとなると、ほとんど茫然自失する。
帰れるものなら、すぐに帰りたくなる。劇作家の書くように「その家の主人が気をきか
せて、『おい、灰皿』と言ってくれた時ほど、ほっとすることはないと言ってもいいく
らいだ」。喫煙者であることの不安と恍惚と。それがじつに分かる。
吉野秀雄や小沼丹のような禁煙者にしても、別役実のような喫煙者にしても、煙草を
めぐる自分のふるまいの可笑しさが自分の目に映っている。その可笑しみが文章に滲んでいる。だからこそ読む者(とりわけ喫煙者と禁煙者)の肌身に触れる思いをさせるの
である。
じつは吉野秀雄には前記した「禁煙について」より丁年前に書いた「禁煙」(昭和三十
二年)という、これも優れた一文があって、ここに記された禁煙の心得などはかつて書
かれた禁煙談の中でも第一等のものに属すると、私などは本気で思っているほどだ。五
つ挙げられた心得のうち、三つ引用してみる。
けんか腰でとりかかっては、かへってことを誤まる。柔軟心といふヤツで、すうっ
と入っていくに限る。
(禁煙は)ヂタバタする自分をみてゐる別個の自分をもつことのできる人なら、むし
ろおもしろいくらいのものではないか。
タバコヘの恐怖をなくして、タバコ屋のウインドーをのぞいたり、ライターをもて
あそんだりする。(略)これまた柔軟心の延長にほかならない。断言してもかまわないと思うが、吉野秀雄という人は右の文を書くまでに、きっと何
度も禁煙の失敗を重ねてきたはずである。しかも、まなじりを決して禁煙に挑み、その
たびに敗北してきたにちがいないと思う。そうでなければ、いきなり「柔軟心といふヤ
ツで、すうつと入っていくに限る」などと書けるものではない。
また「ヂタバタする自分をみてゐる別個の自分をもつ」というのも、たしかに禁煙の
要諦の一つであるだろう。思わず煙草を吸ってしまっているときは、その自分の姿を外
から眺めてみるだけの余裕は限りなくゼロに近い。まがりなりにも禁煙がつづいている
ときは、自分の目に自分が映っている。禁煙は自己批評である。自己反省である。もち
ろん、どこかにやわらかな笑いを含むべき批評であり、反省である。それらを失ってし
まい、切羽つまってしまったときが、禁煙の終わるときだ。
あえて「タバコ屋のウインドーをのぞいたり、ライターをもてあそんだりする」のも、
外から自分を眺める「別個の自分」を育てるのにきっと有効である。私もときどきデパートに行ったときなど、喫煙具コーナーにも立ち寄り、さまざまな喫煙グッズを眺めて
みることがある。ジッポのライターなどに新しいものを見つけると、手触りを確かめた
りもする。そうして喫煙衝動が刺激されると、そんな自分を自分でからかってみる。
物品だけではない。たとえば小春日和の朝、自室の窓から射すぽかぽかした陽の光を浴びながら、あえて「だのしみは心にうかぶはかなどと思ひつづけて煙草すふとき」
(橘曙覧)などという歌を口ずさんでみたりするのも、気持ちの体操になる。
ともかく吉野秀雄の右のようなエッ・セイを読んで、私はすっかりこの歌人が好きにな
ってしまった。そうしてさまざまに調べるうち、それらの文章を書いていた頃の歌人が、
じつは喘息を発し、喀血をし、心臓も弱り、リューマチに苦しみ、糖尿病をも併発し、
あまつさえ妻と長男も病に臥していたことを知った。
「禁煙について」を書いてから九年後の昭和四十二年、歌人は心臓の悪化によって亡く
なった。享年六十六歳。死の直前まで、ほとんど夢も現も分からなくなってさえ、歌を
作りつづけたという。かつて詩人・ハ木重吉の妻であり、のちに自分が娶ったとみ子を
連れて重吉の法要に出かけたときの作「重吉の妻なりしいまのわが妻よためらはずその
墓に手を置け」などがよく知られている。

禁煙の奇書 安田操一とズヴェーヴォ

ある本が奇書であるためには、いくつかの条件がいる。まず内容や文体などに私たち
の常識からすれば意表を突くほど逸脱的なところがあること。その存在が一般的には知
られておらず、したがってあまり読まれていないこと。もちろんそれでも水準を超える
値打ちを内在させていること。作者について、その正体が不明であるか、あるいは不明
ではなくても判然としない部分が少なからずあること。
安田操一『禁煙の実験』は奇書である。明治四十三年一月、東亜書房刊。
著者の安田操一について、私はまだ何の千がかりもつかめていない。これまで安田操
一によるほかの著作は何も見つかっていないし、その『禁煙の実験』にも安田の経歴な
どはただの一行も記されていない。何者なのか、まったく分からない。
しかし、じつに練りに練った文章である。書き手としてはただものでない。日本や西
欧における喫煙の歴史やら、煙草の成分の薬学的分析やら、有効な禁理法の提案やら、禁煙を果たした「英国名士」たちの暮らしぶりやら、知識は深いとはいえずともかなり
広く、繰り出す話題はとどまるところを知らない。
煙草にまつわる種々のデータも、フーフンス政府の衛生試験所の出した報告書や、ウィ
ーンの医事週報から引用するなど、嘘かまことか、その文献博捜は海外のものにも及ん
でいる。一冊の内容はあくまでも煙草の害を述べて禁煙を訴えるといったもので、主題
そのものの目新しさはない。ところがあまりにも筆が立ち、エキセントリックなまでに
思考が走って、戯文すれすれの滑稽味が生じているのだ。
たとえば第一章「吾人は幾何の金貨を煙にしつどありや」では、煙草の消費を経済的
な損失ととらえ、家計節約のためにも禁煙せよという、一見すると禁煙のすすめの常道
を行く論法をつらぬきながら、それがつらぬきすぎて、読み手には著者が果たして本気
なのかどうか分からなくなってしまうのである。
まず、「安逸放蕩の習慣の第一歩は毎朝褥(しとね)を離れる時かち始まる」と安田操一はいう。
つまり目覚めて第一に手に探るのは一本の巻煙草であり、煙管である。そうして「鼻の
穴から立騰る濃ひ煙が天井に消え込むのを唯マジマジと眺め」、茫然としてここに「三
十分乃至一時間の貴重な光陰を空費し了るのである」。1時間は少し長すぎるとは思う
が、安田は頓着せず、次のような奇怪なロジックを述べていく。

安田操一『禁煙の実験』を、禁煙をめぐる奇書の一方の雄とすれば、もう一方の雄と
してぜひともズヴェーヴオの小説『ゼーノの苦悶』を挙げたいと思う。
この小説を奇書と呼ぶことに迷いがないわけではない。ズヴェjヴオという作家が決
して正体不明の存在とはいえないからだ。なにしろ『ゼーノの苦悶』の邦訳(清水三郎
治訳)は、集英社版「世界の文学」(全三十八巻)の第一巻にジェイムズ・ジョイスの作
品と組んで載せられているのである。無名とはいえない。しかし私などはズヴェーヴオ
という作家の名も、『ゼーノの苦悶』という長篇小説のことも、まったく知らなかった。
禁煙してしばらくしてから偶然に読み、仰天したのである。
イタリアの作家イタロ・ズヴェーヴオはT八六一年生まれ、1928年没。銀行に勤
めながら夜学の語学教師などをして生活を支え、いくつかの小説を書く。自費出版した
それらは話題にもならず、やがて長い文学的な沈黙に入る。一九二三年、六十二歳にな
って沈黙を破り、『ゼーノの苦悶』を出版したものの、これも黙殺された。ただジェイ
ムズ・ジョイスなどが激賞し、ようやく世間の目が向きかけたところで自動車事故に遭い、逝去した。
イタリア語としては文体も特異なものらしく、いまだにイタリア文学界で評価は定着
していないようである。集英社版の「世界の文学」に収められたなかで、おそらくもっ
とも知られざる作家であり、作品であるだろう。

ゼーノの苦悶

ズヴェーヴオ『ゼーノの苦悶』を奇書とする。
もともと「健康と病」といったテーマに文学的な関心をもっていたらしい。『ゼーノの苦悶』も、ゼーノという男が精神分析医のすすめにより、治療の手段として書いた自
伝という形式をとっている。男は何を病んでいたのか。それが「喫煙病」なのである。
幼少時から、ところきらわず、煙草を探しては吸っていた。父親の上着のポケットか
ら小銭をくすねては一箱の煙草を買い、その中に入っている十本の煙草をつづけざまに
吸った。「盗みの結果を一刻も早く消滅させるためだった」。あるとき、いつものように
父のチョッキをまさぐっていると、不意に当の父親が現れた。あわてたゼーノは咄嵯に、
「妙にボタンの数をかぞえてみたくなった」のだと説明した。それからは、もっぱら吸
殻を集めては盗みのみをするようになった。額に冷や汗がにじみ、胃がむかつくまで吸
いつづけた。
二十歳になって、はじめて自分が煙草を嫌いなのだと気がついた。そのときは手遅れだった。高熱を伴う喉頭炎で苦しんだとき、医師に禁煙を言いわたされた。禁煙! そ
う思うだけで煙草に手がのびた。さあ、ここなのだ、私が読んで身につまされるのは。
すなわちゼーノが抱えるのは単に喫煙癖だけではないのである。
この病は、やがてわたしに第二の厄介な病気を背負いこませる結果となった。つま
り最初の病から解放されようという努力である。わたしの毎日は、多量の喫煙と、禁
煙の意志とがからみ合いながら過ぎていった。簡単に言えば、あらゆる時間がこの繰
り返しの連続だったのである。二十歳どろに始まった最後のタバコの輪舞は、その後
も変わりなくつづいてやむことがなかった。
禁煙の意志そのものが、ゼーノにとって、第二の病なのだ。それは果てしなく「最後
のタバコ」を吸わせることになるのである。ここに至って、主人公のゼーノという名が
ギリシャの哲学者ゼノン、つまり「アキレスは先行する亀に追いつけない」といった逆
説をとなえた論弁家の名に由来しているのではないかと、読者にはおぼろげながら分か
る。
禁煙の意志は、じつは一つのパラドックスにほかならない。喫煙からの解放をめざすようでいて、限りなく「最後のタバコ」を吸わねばならぬという苦しみを味わわせるか
らだ。吸っても吸っても、ついに「禁煙」に至らない!
ゼーーノもこの逆説の地獄に堕ちる。ある日、彼は辞書の内表紙にこう記す。「本日、
一八八六年二月二日、法律の研究中止、化学の研究着手、最後のタバコー」。それから
は禁煙を決意するたびに、「最後のタバコ」を吸う日付を何かに書きつける。たとえば
一八九九年九月九日。それは悪癖を永久に棺の中に閉じ込めてしまうような、意味あり
げな日付であるとゼーノは思う。また、一九〇一年一月一日。これはとても音楽的に感
じられる日付だ。あるいは二十四時、1912年6月3日。これはそれぞれの数字が倍
数的にひびいてくる。もちろんほかに、何の意味も喚起しない日付がたくさん書きつけ
られる。
丁度、下宿先をかえたときなど、引越しの前に自費で部屋の壁紙を貼りかえねばなら
なかった。壁は例の日付ですっかり埋め尽くされていたのである。それは「まるで墓場
の様相を呈して」いて、「もはや同じ場所ではとうてい新たな決意ができかねると考え
た」とゼーノは回想する。そして禁煙を試みては失敗してきた体験をもつ読者には、身
にしみて痛切と思えることが重ねて記される。

わたしの真の病はタバコにあるのではなくて、禁煙の決意にあるのだ……。
『ゼーノの苦悶』は、決して煙草のことだけを書いているのではなく、手痛いアイロニ
ーと苦渋にみちた笑いとを帯びた文明批評の域にも届く小説である。しかし、やはり禁
煙のパラドックスを味わった覚えのある読者にとっては、しばしば溜め息とともに共感
せざるをえない記述に行き当たる。それがどうやら作者イタロ・ズヴェーヴオ自身の体
験をもとにしていることを、私はリチャード・クーフインというアメリカの文学者による
異風の文芸批評『煙草は崇高である』(太田晋ほか訳、太田出版)を読んで知った。
リチャード・クラインによれば、一八九六年に書かれたズヴェーヴオの日誌が残され
ていて、そこには作家の立てた禁煙の誓いが満ちみちているという。クーフインが挙げた
部分を孫引きしよう。
一八九六年二月一一日 「君が現れたらこう告げよう。幾度も、幾度もの誓いを経
て、今この瞬間、僕はようやく最後の煙草を吸い終えたのだ、と」
その日の午後「あと七分で午後四時、まだ吸っている。いまだに、そしていつで
も、最後の一本だ」一八九六年二月一三日「昨晩、僕は(略)誓った。もう決して煙草は吸わない」
その日の午後「(略)これが最後の一本だ。もうこの件に関しては何も言うまい」
一八九六年二月19日「僕は『最後の煙草』を、ひっきりなしに吸っている!」
もはや中年となったゼーノは、小説の結末近くなって、いよいよ禁煙する。しかしそ
れは医師によって喫煙の自由を許されたからであった。ゼーノはどこまでも逆説を生き
る。そして自伝のノートには「健康を得ようとしてもすべては空しく終わる」という苦
い認識が書きつけられるのだった。
ラスト、ゼーノはさらに「われわれは健康への道に立ち帰るだろう」と書く。ただし
それは人間が「いまだかつてなかったほどの破壊力のある爆薬を発明」したときである。
「すさまじい爆発が起こるだろうが、爆発音はだれの耳にも聞こえないだろう。そして
地球はふたたび混沌状態におちいり、寄生虫も病気も存在しない宇宙をさまようだろ
う」
この終末的な予言を潜ませたきわめて現代的な小説が、それほどに知られず、それほ
どに読まれていないとすれば、これもやはり奇書でありつづけるだろう。

禁煙に乾杯

農夫には農夫のカレンダーがあり、樵夫には樵夫のカレンダーーがあり、羊飼いには羊
飼いのカレンダーがあるように、禁煙者には禁煙者のカレンダーがある。冗談をいって
いるのではない。本気でそう思っている。
禁煙してからは、それまでと四季の感じかたが違う。一日一日の移ろいかたも違う。
さらにいえば刻一刻のありようiで違う。その感じをうまくつかんで自覚するかどうか
が、禁煙の成否にかかわってくると思う。禁煙にさんざん失敗していた頃、私はその感
覚をつかみそこねていたのだ。
もちろん禁煙者の一人一人によって、一日の、一月の、一季節の感じかたは異なる。
もしも十人の禁煙者がそれぞれにカレンダーを作れば、まったく異なる十種類のカレン
ダーができることだろう。ただし成功した禁煙者であれば、誰にも共通していえるはず
のことが一つだけある。禁煙してからの一月のことだ。私はかつて、禁煙後の一日、あるいは三日、あるいは一週間、そして一月の間は、試
練のときとしか思っていなかった。ニコチンの欠乏によって喫煙への欲求が吹き荒れる。
手を握りしめ、身を固め、その大風に向かって立つ。逆らい、闘おうとする。それがで
きなければひたすら小さくなって耐える。肩をすぼめ、身を低くし、黙って嵐がおさま
るのを待つ。
やがて嵐は去り、さわやかな青空が広がるだろう。ニコチンは身体からすっかり消え
て、いつしか煙草のことなど忘れているだろう・・。
断じていう、そんなことがあるわけがない。ニコチンの報復を見くびってはいけない。
禁煙したあとに湧きおこる強い離脱症状は、南方熊楠や西田幾多郎の例を見ても分かる
ように、まなじりを決して向かったところで打ち勝てるものでもないし、身を小さくし
ていれば去ってくれるというものでもない。それがようやく立ち去るのは、こちらが禁
煙をあきらめて次の一本に火をつけるときでしかない。そうして元のいがらっぽい暮ら
しに戻るなら、嵐はすぐに消えてくれることだろう。
試練と思うからいけないのだ。そう思うから、耐えねばならぬと決め込み、結局は耐
えられずに負けてしまうのだ。
禁煙者のカレンダーーを作るなら、初めの一月は試練の月ではなく、いきなり収穫の月とすべきである。すべての成功した禁煙者にとって、これだけはおそらく等しなみにい
えることではないだろうか。苦労して畑を耕すわけでもない。何の種をまくわけでもな
い。ただこれまで吸いつづけてきた、吸わずにはいられなかった煙草を止めた瞬間から、
刻一刻が、一日一日が、自分にとって意外というほかない体験を刈り入れていくときと
なる。
もちろんニコチンヘの欲求は大騒ぎに騒ぐのである。嵐は吹き荒れるのである。それ
がしかし、チャンスなのだ。大波に立ち向かおうとしても、さらわれ、溺れるだけであ
る。海辺のサーフアーたちを思い浮かべよう。彼らは押し寄せる波に逆らおうとするだ
ろうか。あるいは目をつむって波の過ぎるのを待っているだけだろうか。波が来たら、
それに乗るのである。むしろ、できるだけ高い波の来るのを待つのである。波が高けれ
ば高いほど、サーフインを愉しむことができるからだ。
万人に向く禁煙マニュアルなどはありえないと思う。煙草とのつきあいが喫煙者の一
人万人にとって、それぞれに異なる深度をもち、歴史をもっているように、禁煙すると
きも個々の人によって違う方法が考えられなくてはいけない。それでもなお私がぜひ書
きつけておきたいのは、禁煙直後に襲うニコチン離脱症状への対処についてである。
もしも常習的な喫煙者であったなら、最後の一本を吸い終えたあと、必ず離脱症状の波が湧きおこる。つまりは次の一本が吸いたくなる。この波に対しては、立ち向かって
もだめだし、逃げてもだめだ。
どうするかといえば、乗るしかないのである。波の頂きをすべっていく気分でないと、
たちどころに波に呑まれるしかないのだ。小さな波がそれこそ波状攻撃のように、たえ
まなく寄せる。そしてときには大きな波がドカンと襲う。「来たぞ、来たぞ」。そのよう
に声に出しもして、欲求そのものに乗り、我が身もともにうねるようなイメージを描く。
禁煙はサーフィンである。笑われるかもしれないが、じっさいにサーフィンのイメージ
を思い描くのである。私などはふわりと身体を浮かせるように動かしてもみた。
そのコツを、私は何度も重ねた失敗によって、また禁煙の稽古というまことに優柔不
断な試みを繰り返すことによって、なんとかつかめたように思う。禁煙の失敗をめぐっ
て書かれた文章は山ほどある。誰もが、いかに禁煙がむずかしかったかを書く
人たちは滑稽をまじえて、ある人たちは悲惨げに。

ニコチン離脱症状

ある成功したことを書く人たちもいないではない。しかし成功した人が、どうしてはじめのニコチン離脱症状に耐えられたのか、それを書いた文章に私は出会ったことがない。
あえていえば、それは耐えなかったからなのだ。逆説でも何でもない、耐えようとすれ
ば失敗する。耐えようとしなかったからこそ、禁煙できたのではないか。
ニコチン欲求の波と闘わず、耐えもせず、その波に乗ってしまうとはどういうことか。
そうした欲求が我が身を突き上げているという常ならざる感じを、全身で味わってみる
ことである。欲求の強さに身がねじれ、うねるような気がするならば、心持ちもいっし
ょになってねじれ、うねってみることである。
波になるのだ。自分がニコチン渇望の波そのものになってしまうのだ。
禁煙は非日常である。思い切っていえば、身体感覚にとってハレのときがはじまるの
である。私の場合は二十七年の間、煙草を吸いつづけ、身体にはいつもニコチンが充ち
ているのがあたりまえであった。煙草を断ち、ニコチンの補充を止めてしまうと、体内
のニコチンが肌からふつふつと彦み出るような気がする。腕に鼻を当ててみると、煙草
の匂いがする。気分はほとんど茫然としている。それはもう異様なことといってよい。
そうした異様な感覚を、抑えようとするのではなく、忘れようとするのでもなく、む
しろ自分から進んで味わおうとすること。そのことがなければ、禁煙はできないと私は思う。
禁煙の初日、職場では意外にてきぱきと仕事を片づけていくことができた。身も心も
体ませておくような余裕がなかったからだ。夜、帰宅してからは、中国茶をたくさん俺
れて飲んだ。ニコチン離脱症状は渇きも覚えさせる。渇いたのどに、熱いお茶がうまい。

ともかく水分はたっぷりとるのがいいようだ。
禁煙の第一日は、そうして過ぎた。
第二日、トーストに蜂蜜をつけて食べた。
第三日、ニューオリンズ・ジャズのCDを買い、一晩中、聴いた。
第四日、バナナジュースを飲んだ。
第五日、歯医者に行って歯石を除去してもらった。脂もとれた。
第六日、ココアを作って飲んだ。
第七日、オレンジをたくさん食べた。
禁煙してからの一週間は、そうしてとくに飲食を中心に、一日に何か一つだけでも自
分にとってめずらしいと思えることを意識的にした。ともかく毎日、お茶はがぶがぶ飲
んだ。とくにこれまで知識のなかった中国茶については専門の店でいろいろ教えてもら
い、にわかに精しくなった。清新な味わいの白茶を、一週間のうちに何杯飲んだことだろう。
ジャズは洗練などからは遠い、朴訥と語りかけるジョージ・ルイスのディキシーフン
ド。そして巨星ルイ・アームストロングの率いるコンポの、意外につつましやかな音色
を響かせもする一九四〇年代の録音。ジョージ・ルイスの「世界は日の出を待っている」と、サッチモの「懐かしのニューオリンズ」とを、やはり一週間のうちに何度聴い
たことだろう。
むろん、その間、ニコチン離脱症状はたえず波立っているのである。それでも禁煙が
一日つづくなら、三日はつづく。三日つづけば、一週間はつづく。一週間、大丈夫であ
れば、T刀月は大丈夫だ。ただしニカ月つづくかどうかは、初めのIカ月がどれだけ
「収穫の月」であったかにかかっていると思う。
本書のIに記したように、禁煙開始の翌日(朝食のトーストに蜂蜜をつけた日)、私
は能楽堂のロビーで、喫煙への渇きと焦りの果てにふしぎな感覚を覚えた。身体がとろ
りと融けるような、眠気にも近い温かな感覚だった。その二日後(昼休みの喫茶店でバ
ナナジューースを飲んだ日)、電車の中でジャズピアノのカセットテープを聴いていたと
き、やはりニコチンヘの欲求に揉まれながら、ふと冷たく快い覚醒感を味わった。一方
は束ねたものがゆるりとほどけるような、もう一方は逆に、ほどけたものが収束するよ
うな心地であった。
それらはやがて、あたかもいい匂いのするクリーム状のやわらかな固まりが目の奥あ
たりに生まれ、その固まりがときには温かく溶けて身体中にひろがり、ときにはまた冷
たく固まって身体に張りを帯びさせる、そんなイメージを私にもたらした。私にとって、それこそは収穫であった。そうしたイメーージの収穫がなかったなら、禁煙がこれまでつ
づいているとは考えられない。
個々の禁煙者によって、もちろん感じ方は千差万別である。しかし禁煙してそれほど
日を経ないうちに、身体的にこれまで味わった覚えのないことに必ず出会う。そうした
非日常的ともいえる感覚を、ニコチンヘの欲求そのものが与えてくれるのである。それ
こそがニコチン離脱症状なのだ。

禁煙には三つの手

私の考えでは、禁煙には三つの手がある。
右に書いたように、禁煙をはじめてからの一日を、三日を、一週間を、一月を、湧き
おこるニコチン離脱症状をむしろ利用して、恩いがけない感覚を刈り入れる日々とする
こと。愉しみの日々とすること。それが第一の手である。
何度も書くが、禁煙は我慢ではない。我慢であってはいけない。禁煙が一日つづけば
三日はつづくと書いた。一週間つづけば1か月はつづくと書いた。しかしそれは一日辛
抱すればとか、一週間辛抱すればとかいった意味ではない。辛抱だと恩ったら、もうそ
こで負けている。かつて覚えのないような感覚の揺さぶりに、どれだけ胸をざわめかせ、
とどろかせ、乗ってみることができるか、それが勝負だ。
幸いなことに、ほかの依存性薬物と違って、ニコチンは摂取を止めても幻覚や妄想までは引き起こさない。身体がけいれんすることもない。禁煙すると手が震えたりすると
思い込んでいる人がいるが、そういう身体症状を起こさないのがニコチン離脱症状の特
質である。ただ単に喫煙への渇望感が波打つばかりなのだ。その波が自分をどこまで遅
んでいくのか、一日ひたすらそれを好奇心と求知心とで倫しむことができるなら、禁煙
は三日はつづく。その思いを一週間、トーンを下げずに抱きつづけるなら、禁煙はT刀
月つづく。T刀月つづけば、あとはどれだけ新しい暮らしを見出すかによって、フ年は
つづく。
第二の于は、何度も失敗してみること。あっさり禁煙できる人がえらいわけではない。
さらにいえば、失敗して恥をかいてみること。それがあとになって効く。
禁煙とは、恥をかくことである。つくづくそう思うことがあった。あたりまえの喫煙
者であれば、禁煙に少なくとも二回や三回は失敗するだろう。十回や二十回くらい失敗
してもふしぎではない。常習的な喫煙者はすべてニコチン依存の状態にある。一度で禁
煙できるくらいなら「依存」とはいわない。もちろん失敗しても意に介さず、周りに対
しても自若としていられる性格であれば恥をかくこともない。本人が恥とは思わないか
らである。
少し書きにくいことを書く。禁煙に対して優柔不断であった者は、失敗してからも優柔不断である。しばらく、堂々とは煙草を吸えない。蔭に隠れて吸うのである。そして
—見つかるのである。私は仕事の関係者に見られ、自宅の隣人に見られ、妻に見られ、
飼い大にまで見られた。
私が煙草を吸っているのを見た人たちが、必ずしも私が禁煙していることを知ってい
たわけではない。しかし、吸っている場所が自然ではないのだ。なにしろ「蔭」なので
ある。あるとき?それは図書館の休館日で、館員が全員そろって書庫の本を移動する
作業をしていたときのことだった?、作業中にどうにも喫煙衝動が突き上げて止まず、
三十分間の休憩に入るや職場を抜け、大学の門を出た。近所で煙草とライターを買い、
吸ったところが住宅地である。折しもそこへ取引のある書店の営業員が歩いてきたのだ。
「おや、どうしてここに」「いや、別に」。大学の図書館員が昼間、住宅地のなかで煙草
を吸っていて「別に」ということはない。
あるときは朝、自宅を出てから駅に着くまでに欲望やみがたく、煙草を買って吸って
いたところが交番の裏手だった。べつに交番の裏手を選んだことに意味はなく、朝の駅
前通りは人で混雑するので、それを避けたところにたまたま交番があったというだけの
ことである。そこをやはり出動途中の隣人に見られた。
挨拶を交わしながら、いかにも不審げな顔をされたわけは、私自身、よく分かる。動め人であれば、朝はたいてい決まった時刻の電車に乗るのであり、それに遅れないため
に急ぎ足で歩いているのだ。わざわざ通りからはずれ、奥に入ったところに立ち停まっ
てゆっくり煙草をふかしているのは、どうしても朝の出動風景にはそぐわないのである。
妻に見られたのはマンションに暮らしていた頃、夜、風呂上がりにベーフンダで吸って
いたときであった。妻は私のあと、つづけて風呂に入っているはずだった。風呂場のド
アが閉まる音を、少し前、私は背中に聞いた。妻は私が禁煙中であると思っている、も
はや禁煙の失敗をあまりにも重ねすぎ、さすがに妻にも黙っていた私は、そそくさとバ
ッグから煙草を出し、ベランダに出て火をつけたのだった。ところが妻は風呂になど入
っていなかった。洗面室に用があっただけのことだった。洗面室から出てきた妻は、私
がひとり暗いベーフンダにたたずんで夜景を眺めているのを見た。
「何してるの」。たとえどんなに小さな声であっても、こういうときは巨大な音量で耳
を打つ。思いがけなさに驚愕したとき、私はパジャマ姿で、右手には火のついた煙草を
もち、左手には台所で使うアルミホイルで応急に作った小さな灰皿をもっていた。どう
しようもない事態である。自分でこしらえたアルミホイルの灰皿を手のひらにのせてい
るのが、いかにも情けない。いかんともしがたく、みっともない。

禁煙治療薬チャンピックス(バレニクリン)

私たちには子供がないし、まだ大も飼っていなかった。その夜ほど、一つの家の中で二人して沈黙していることのやりきれなさを味わったことはない。
しかし何よりも恥ずかしい思いをしたのは、すでに書いたように、飼い犬のももに見
られたときのことだった。ふつう恥の感覚というものは対人関係において、とくに「見
る/見られる」という関係の中で発生する。人間ならざる生き物に対して恥を覚えるこ
とがあるのだろうか。しかもペットは、こちらが一方的に「見る」存在である。対人関
係においてと同じようにペットとの間で「見る/見られる」の相互性が成り立つとは考
えにくい。
とはいえ私はそのとき、たしかにももに「見られた」のである。ふと強烈な恥の固ま
りが身体の中ではじけたのは、もしかすると、私を見だのが絶対に煙草を吸うことのな
い生き物であったからかもしれない。煙草とのかかわりを死ぬまで一度ももつはずのな
い生き物が、私の指先にはさまれた白いものに興奮し、居ても立ってもいられずにはし
やぎ回る。そのとき煙草を吸う私というものが、ほかのどんなときよりも、かえって鮮
明な光を浴び、くっきりと浮かび上がってしまったのではないか。その自分の姿を露骨
に見せつけられるような思いに打たれ、強い恥を覚えたのではないか。
しかし禁煙に失敗して恥をかくのは悪いことではない。むしろ「本番の禁煙」のため
には必要でさえある。恥をかくたびに、煙草を吸っている自分を、離れたところから見るもう一人の自分の目が生まれるからだ。あるときは書店の営業員の目になって、こっ
そり喫煙している私自身を見た。あるときは近所の人の目になり、また妻の目になって、
私のありさまを見た。ときには飼い犬の目にさえなって私を見た。
そのもう一人の私の目は、本格的な禁煙をはじめてからは自然に立ち現れるようにな
ったと思う。それがいまもなお、禁煙をつづけるために欠かせない。もしもそれがなけ
れば、喫煙への欲求が強まったとき、その欲求をただ「私」の心身だけで受けとめるこ
とになる。はじめの丁刀月ばかりは、新しい気分のうちに高揚して過ごすことができて
も、ニカ月、三ヵ月、半年をこの「私」だけでクリアできるか。
なにしろ二十七年間にわたって、三十万本の煙草を灰にしてきた。また、いざ禁煙を
思い立ってからも、数えきれないほどの「最後の一本」を吸ってきた。私はそんな
「私」を信用しきることはできない。
ところがもう一人の私には肉体がない。ニコチンの記憶もないし、ニコチンを欲しが
ることもない。もう一人の私がもっているのは、目だけである。その目が、煙草への渇
きが生まれるたびに「私」から離れ、「私」を見る。見るだけのことだが、いつまでも
煙草を忘れられない「私」に苦笑くらいはしている。目が笑っているうちに、煙草への
渇きはかえって日常の張りとなるのである。そんなふしぎな感覚のシステムが働くのだ。禁煙をめぐって恥を重ねることがなければ、そうした「自分を見る目」をもつことな
どなかった。自分を見るといっても、それは決してむずかしいことではなく、煙草を吸
っている(あるいは煙草に手を出そうとしている)自身の格好をイメージするだけのこ
とである。正面から見たその顔や身ぶりを思い浮かべるのである。
自虐的になるわけではない。軽く想像すれば足りる。肝心なのは、自分からもう一人
の自分をずらしてみるだけの心の余地なのだ。その「遊び」の部分がないと、切羽つま
ってしまう。これまで何度も「最後の一本」に于をのばしたとき、私は決まって切羽つ
まった気分になっていたものだった。煙草を吸わなければどうにも出口がない、そんな
気分に自分を追い込んでいたものだった。
禁煙に失敗しておくこと。恥をかいておくこと。それを禁煙の第二の千としよう。
第三の手は、また禁煙者のカレンダーのことである。はじめの一月は、おそらく成功
した禁煙者にとっては等しなみに収穫の月となるはずであることを、先に書いた。あと
は個々によってさまざまな日々であり、月々であることだろう。しかしもう一つだけ、
誰にも共通して設けられるべき月がありそうだ。祝祭の月である。
何しろ不可能だと思っていた禁煙を、驚いたことに、いまつづけているのである。こ
れはたいしたことではないか。誰もほめてくれるわけではないし、たとえほめられても禁煙できたとは、しかしどういうことだろう。どんな状態に至れば、自分が禁煙を果
たしたといえるのだろう。禁煙をたとえばマラソンのように見なすことが世間的には定
着している。数週間か、あるいは数カ月間か、何とか煙草への欲求を抑えつづけること
ができれば、そこにきっと目に見えないゴールがあって、そこを過ぎればニコチンを欲
する気分など起こらなくなる。煙草のことなど忘れ去ってしまう。辛いレースの果てに、
そのゴールに達したときが、禁煙できたといえるときだI。私もがってはそう思って
いた。意志が強くないから、いつもゴールの手前でレースを放棄してしまうのだと思っ
ていた。
たしかに分かりやすいイメージなのである。はるか遠くにテーープの張られた目標地点
があって、そこに至るまで努力を重ねればよいというのは、じつに理解しやすいのであ

しかしそれが間違いだった。むしろ、そう思い込むから失敗してきたのだ。禁煙はマ
ーフソンではない。禁煙とは、最後の一本を灰皿ににじり消した瞬間から、どこかは分か
らない、こことは別のところへ移ることである。禁煙は越境である。これまで知らなか
った場所で、知らなかった日々をはじめることだ。ある地点にたどりつくまでは耐え披
くといったレースなどではない。

禁煙できたとは、しかしどういうことだろう。どんな状態に至れば、自分が禁煙を果
たしたといえるのだろう。禁煙をたとえば了フソンのように見なすことが世間的には定
着している。数週間か、あるいは数カ月間か、何とか煙草への欲求を抑えつづけること
ができれば、そこにきっと目に見えないゴールがあって、そこを過ぎればニコチンを欲
する気分など起こらなくなる。煙草のことなど忘れ去ってしまう。辛いレーースの果てに、
そのゴールに達したときが、禁煙できたといえるときだI。私もがってはそう思って
いた。意志が強くないから、いつもゴールの手前でレースを放棄してしまうのだと思っ
ていた。
たしかに分かりやすいイメージなのである。はるか遠くにテーープの張られた目標地点
があって、そこに至るまで努力を重ねればよいというのは、じつに理解しやすいのであ

しかしそれが間違いだった。むしろ、そう思い込むから失敗してきたのだ。禁煙はマ
ーフソンではない。禁煙とは、最後の一本を灰皿ににじり消した瞬間から、どこかは分か
らない、こことは別のところへ移ることである。禁煙は越境である。これまで知らなか
った場所で、知らなかった日々をはじめることだ。ある地点にたどりつくまでは耐え披
くといったレースなどではない。かつて禁煙を繰り返していた頃、私にはそのたびにあらかじめ失敗することが分かっ
ていた。長距離のランナーとして、自分がおよそ不適格であり、必ず中途で脱落するは
ずだと思っていた。そしていつも決まってその通りになった。何がいけないのか。私が
だらしないのか。それはそうだろう。しかしそれだけではない。禁煙に対して私(た
ち)のもっている長距離レースのイメージそのものがいけないのだ。
もしも陸上競技にたとえるならば、禁煙は長距離走ではなく、ハイジャンプである。
走るのではなくて跳ぶのである。跳んで、見知らぬところに落ちるのである。おそらく
すべてはそこからはじまるのだ。禁煙の稽古をするうちに、私はそう思うようになって
いた。いよいよ「最後の一本」を箱から抜き出したときなど、ほとんどスリルに近い感
じを味わった。今度こそ、それが正真正銘の「最後の一本」になることを予感したから
だ。
しかし禁煙が耐久レースではないとすると、禁煙できたということを表すゴールはど
こにあるのか。私はほんとうに禁煙を果たしたといえるのだろうか。1年以上たっても、
いまだに喫煙欲求は消えやらない。この調子で行くと、それは二年たっても三年たって
も収まることはないだろう。煙草のことを忘れ去ってしまう、そんな境地に至ったとき
がゴールインだとすれば、私の禁煙にはおそらくずっとゴールはない。

それでも私には自分が禁煙を果たしていることが分かる。それは自分が禁煙を愉しん
でいるという思いがあるからだ。愉しめなければ禁煙ではない。その思いが体感にまで
なれば、つまり、いまだに波打つ喫煙欲求そのものを身体のリズムのように感じること
ができれば、もはや禁煙を果たし売といえるのではないか。
私は禁煙を果たした。それを祝っての花見の旅なのである。
東京から夜行バスで八時間近くかけて到着した吉野山には、しかしどこを見渡しても
桜はなかった。すでにすっかり散っていた。直前の暴風雨にたたられたのだという。添
乗員の説明によれば「ちょうど見頃の桜」だったのに「惜しいことをしました」。
しばしば「トイレ休憩」で起こされる夜行バスに、妻はほとほと疲れたようだった。
私も朝の早いのには参った。下千本の駐車場に、バスは午前五時着。朝食をとってから、
二十人ばかりの参加者は山道を中千本に向かってぞろぞろと歩き出す。
花見に来て花がないのも間が抜けているが、しかし全山、見渡すかぎりの緑というの
も美しいものである。うっとうしい曇天ではあるものの、大雨と大風とが去っていたの
は幸いというべきだろう。蔵王堂やら吉水院やら勝手神社やら、途中の名所をのぞきな
がら、また山中にある小さな郵便局に入って吉野の記念切手などを買ったりしながら、
私たちもだんだん元気を回復してきた。私にとっては何しろ禁煙を祝う旅である。一帯の若緑に目を洗われながら、禁煙を果
たしたという思いを味わおう。そしてひそかに祝おう。祝、禁煙。右手の親指の腹に、
ライターを擦ってできたたこがなくなっていることを祝おう。吉野はもちろん全山が禁
煙である。いま、次に煙草が吸えるまでの時間を計算しなくてもすんでいることを祝お
う。無意識のうちに、煙草をはさんだつもりの指を唇にあてたりしないことを祝おう。
いや何よりもまず、自分が喫煙者であったことを祝おう。喫煙者でなければ、禁煙と
いう事件を味わうことはできなかったのだ。ほんとうにとんでもない事件だった。
ときどき禁煙者の中に、煙草を吸ってきた自分の過去を反省し、他人の煙草の煙に対
する嫌悪を言いつのり、加えて公共の場における禁煙の徹底をとなえる人がいる。私は
共感しない。それは彼らが「転身」したからではない。あることに対して万人の人間が
ずっと同じ立場に立ちつづけるのはむしろ不自然だ。私が彼らに与しないのは、もっと
単純な理由からである。私は自分が煙草を吸ってきてよかったと思っているのだ。
少年時代、私はもちろん非喫煙者だった。のちに喫煙者となり、禁煙者にもなった。
煙草を知らない暮らしと、煙草を吸ってきた暮らしと、煙草を止めてからの暮らしと、
その三つを経験することになった。いずれも恥と侮いとの多きものであるにせよ、一度
の人生で三つの暮らしを生きることになった。私はバカバカしいことを書きつけているだろうか。しかし吸うにせよ、止めるにせよ、煙草は人生そのものである。もしも、は
じめからずっと煙草を吸わずにいたら、そのことさえ知る由もなかったはずだ。
吉野山バス・ツアーに添乗した旅行会社の1人は、どうやらかなりのスモーカーであ
るらしい。休憩地でバスが停まるたびに、降りるが早いか背広のポケットから煙草を取
り出し、火をつけている。いつも煙の立ち昇る煙草を千にしたまま、乗降口のわきに立
って客を送り出している。添乗員のそうした姿を、禁煙するとにわかに反喫煙を主張し
はじめる人たちが見たなら、胸の内で反発したり、見下げて笑ったりするのだろうか。
よく「もしも生まれ変わったら
」という質問がある。「もしも生まれ変わったら、
煙草を吸いますか」。そう問われたならば、反喫煙をとなえる彼らはきっぱり「吸わな
い」と答えるだろう。
私はどうか。分からない。迷う。優柔不断なのである。しかし質問が「もしも生まれ
変わって、また煙草を吸う暮らしをつづけたら、禁煙しますか」というものであったな
ら、私は即座に答えるだろう、「禁煙する」と。
なぜなら、禁煙は味わうに足る人生の快楽であるからだ。
思えば嗜好品として、煙草こそは先人の知恵によって生まれた最高傑作の一つである。
ニコチンを摂取するのに、水に溶かして飲むのでもなく、肌から擦りこむのでもなく、もちろん注射するのでもなく、何と火をつけて煙にしたものを吸う。吸った煙は吐き出
す。すなわち呼吸という身体にとって基本中の基本である営みとともに摂取させること
を、先人は考えたのだ。すばらしい知恵ではないか。薬物の吸収法として、とれほどに
自然なものはない。
しかし、もしかすると、その先人たちは禁煙することの快楽まで見通していたのかも
しれない。禁煙者は、喫煙者も非喫煙者も知らないことを知っている。ニコチンヘの渇
きによる暮らしの収穫を知っている。恥をかくことも知っている。その恥をもふくめて、
ニコチンをめぐる事件のあれこれを晴ればれと祝う心地も知っている。そんな快楽まで
見越して煙草を考え出したのではないか。
非常に長いスパンで見れば、二十七年かけて一本の煙草を大きく吸い込んだのが私の
喫煙時代であり、その煙をいまの禁煙生活によってゆっくり吐きはじめている?、つ
まり人生をかけて長い一服をしているのだといえなくもない。
吉野から東京に帰るバスの中で、私はそんな埓もないことを思いながら、缶ビールを一ロぐいと飲んだ。

禁煙は華やぎである。罰せられざる快楽である。苦行でもなければ克己でもない。こ
のざさやかな一冊に私が書きたかったのは、結局のところ、そのことに尽きる。
十年、二十年、三十年と煙草を常習的に吸いつづけた者が、あるとき、ふっつりと煙
草を断つ。当然、ニコチンヘの渇望が身体から湧き起こる。もしも禁煙が苦行であると
すれば、禁煙者はそのしぶとい渇望を力で抑え込んでいることになる。禁煙を果たした
人たちは誰もがそんなに強靭な意志力をもっているのだろうか。
自分が煙草を吸っていた頃から、ふしぎでならなかった。どうして禁煙できるのか。
禁煙をめぐる実用言や医学的な啓蒙書を開いてみても、煙草は有害だから我慢して止め
なければいけないと書かれているばかりである。私は煙草が「有害」だからといって禁
煙をめざしたのではないが、そのことはおくとして、禁煙は忍耐か。禁煙者の誰もがそんな忍耐力をもっているのか。それが疑わしくてならなかった。どこかに嘘があるのではないか。
ただでさえ労苦の絶えないのが人生である。その上に禁煙まで抑制であったり辛抱で
あったりしてはかなわない。ところが世の中には、禁煙というものが自分を制し、欲望
を抑えてはじめて可能なのだという考えが定着している。ほんとうだろうか。
何か秘密があるのではないか。煙草を断つことで起こる身体反応は単純だ。ニコチン
ヘの渇望が体むことなく噴き上がる。それだけ。そうだとするなら、どうやら禁煙の秘
密はそのニコチンヘの渇望そのものに潜んでいるのではないか:・・:。
そうした予感が自分の最後の禁煙体験によって確信となり、私はこの本を書きはじめ
た。成功した禁煙者たちが語ろうとせずにきたことを、明るみに引き出してみたかった。
何よりも、禁煙にまつわる苦行のイメージを払いのけてみたかった。そのイメージこそ
が蹟きの石だと思えたからだ。そこに嘘があり、まやかしがあると思えたからだ。
しかし身体的な感覚にかかわることがらでもあり、表現のむずかしさには千を焼いた。
青息吐息になって書いた。自分の才の乏しさにも呆れた。書くことは苦行にほかならな
い。皮肉なことに、禁煙して結局はみずからに苦行を強いてしまったのである。
ただし書いていく過程で、禁煙という私的な行為の一つにすぎないはずのことが、さ
らに追究されてもよい人間的な主題になりうることを知ったのは収穫であった。奥行きもあれば広がりもある、深みもあれば厚みもある。それが禁煙だ。

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